親日ウズベキスタンのナヴォイ劇場、日本人との関係
2015/11/27
ウズベキスタンのナヴォイ劇場について知る機会がありました。この話は私は今まで知らなかったのですが、以前よりテレビなどにも取り上げられているようです。
ウズベキスタンは聞くところによると親日であり、このナヴォイ劇場が親日の要因の1つになっているという話です。
実感としてウズベキスタンが親日なのかはよく分かりませんが、現在の政府筋の話やテレビ番組の報道でそう語られています。
ウズベキスタンは旧ソ連の一部であったのですが、独立してウズベキスタン共和国となっています。昔はソビエト連邦領ではあったわけです。
ソビエト連邦の事を若い世代の方は知らないかもしれませんが、昔はロシアはソ連であり社会主義の国でありました。
ソ連が崩壊してソ連から離脱したロシアがロシア連邦として成立となっているようです。
その時代にいくつかソ連から離脱して独立した国があります。ウズベキスタンもその中の一つになるでしょう。
ナヴォイ劇場建設に関わったシベリア抑留の日本人達
日本人がナヴォイ劇場の建設に関わったのはウズベキスタンがまだソ連の時代ではありました。シベリア抑留の日本人がこの地に連れて来られ、強制労働によって建設に参加させられました。
当時のシベリア抑留については過酷な労働をさせられたという話はよく聞くことではあります。多くの日本人兵は過酷な状況で亡くなったようです。
そんな強制労働の状況であったにも関わらず、真面目に勤勉に働く日本人の様子に当時のウズベキスタン人が感心し、日本人を尊敬するようになったという事ではあります。
子供達に日本人が働く現場を母親が見せて、日本人のようにまじめに働くに人間になりなさいと言われたと現地の人達の話がインタビューなどでも語られています。
また安倍内閣の麻生大臣がかつてウズベキスタンを訪問した際にも、当時の大統領が母親に「日本人のように真面目に働く人間になりなさい」と教育され、大統領になれたと語っていたそうです。
国会の答弁動画で見たのですが、そういった話がされていました。日本人の勤勉さのすばらしさを改めて再認識しようというような政府の試みではあるでしょう。
それにしても真面目に働く抑留された日本人兵に対し、現地の人々がそのような気持ちを持ってしまった事は大変感慨深いものがあります。
捕虜として連れてこられた人達ではあったわけですが、現地の人達をそのような気持ちに変えてしまうなんて凄いものがあるなと思いました。
現地の人達は食料に困っている日本人抑留者達にこっそり差し入れをしたりする事もあったようです。
その御礼に手作りの木の玩具を子供達にプレゼントしたりと、義理堅い日本人抑留者との思い出を語っている方もいます。
大地震でも倒壊しなかったナヴォイ劇場
ナヴォイ劇場が完成したその20年後にウズベキスタンで大地震が起こりました。1966年のタシュケント地震です。
地震の際にほとんどの建物は倒壊したが、日本人が作ったナヴォイ劇場は無傷で残りました。ナヴォイ劇場は避難地としても利用され現地の方々の役に立ったとも聞きます。
そして、やはりあのまじめに働いていた日本人達は凄いなと再認識されたとの話です。地震でも倒壊しないしっかりとした建物を作った事に尊敬の念を持ったという事になります。
1966年頃はおそらくソ連の中は西側諸国にとって謎に満ちた国だったと思います。ソ連の中で何が起こっているのはよく分かりません。
例えるなら感覚として北朝鮮について市民がどのような生活をしているのかは謎な部分が多いです。当時のソ連もおそらく謎な国ではあったであろうと考えると分かりやすいかもしれません。
日本人としては当時のウズベキスタンの中でそのような事がおきて、日本人への評価が高くなっているとは思いもしなかった事かもしれません。
自分には真似できないなと感じる
シベリアに抑留されていた方々は食べ物も満足に食べられず、病気や怪我などで亡くなった方も多いと聞きます。
ドイツ人もこのように強制労働させられたようですが、彼らは待遇の改善ばかり言って日本人程まじめに働かなかったとも言われています。
現地の人達は子供達に「ロシア人が見てなくても、まじめに働いでるでしょ、あのような人になりなさい」と言っていたようですから、かなりまじめな働きぶりだったんでしょう。
強制労働ですから、働いても得るものはないのです。もちろんしっかり働かないと罰もあるようでしたけども、手抜きせずに作って地震でも残ってしまう建造物を立てた事になります。
現代の日本ではアメリカの自由主義な考え方も広まっていますから、コレほどまでに日本人が勤勉であるのかはよく分かりません。
自分自身は何も得るものがなければ適当に作ってしまうかもしれないと思ってしまいます。
反面どうせ作るなら綺麗でしっかりしたものを作りたいと思ってしまう、もの作りへの拘りも分からないでもないんですよね。
ナヴォイ劇場は中の装飾まで綺麗に作られていて、これらも全て日本人抑留者が作ったと言われています。
ナヴォイ劇場に設置されているプレート
ナヴォイ劇場に現在このような日本人を賛えるプレートがあるそうです。
1945年から1946年にかけて
極東から強制移送された
数百名の日本国民が
このありシュエル・ナヴォイー名称劇場の
建設に参加し、その完成に貢献した。
これは1996年にウズベキスタンのカリモフ大統領が指揮して設置しています。
ここには捕虜という言葉は使われておらず、カリモフ大統領は彼らは恩人であり、捕虜と言う言葉は使わないように命令したと聞きました。
ロシア人達は日本人を捕虜として連れてきたが、ウズベキスタンの人達は彼らのまじめな働きぶりに捕虜ではなく恩人として丁重に接したいという思い入れがあると考えられます。