古代の日本で奈良や京都に都が作られた理由
日本史の授業は日本の公立学校に通っていれば当たり前のように習う事ではあります。
皆さんは古い時代の日本の都が奈良や京都にあった事をご存知ではあるでしょう。政治の中心がこの場所から移動したのは武士の時代になってからでした。
それまでの日本は奈良や京都に都が作られ、政治の中心はそれらの場所にあったということになります。
ふとgoogle mapなどのネットの地図を眺めていると日本の各都市が沿岸部を中心に発達している事がよく分かります。
行ったこともない都市もあるので、こんな所にこの都市があったのかと改て気付き、なかなか面白いものがあります。
そして奈良や京都の様子を見ると、そこが盆地であり沿岸部ではない事がよく分かります。地図ではなく実写で見れるので緑の山に囲まれているのが分かりやすいですね。
では飛鳥、奈良、京都と都が作られた場所がこれらの地域になっていたのは何故でしょう?学校の授業で習った事かもしれませんが、改めて語ってみましょう。
盆地に都が作られた理由は何だろう?
盆地に都が作られた理由は何なんでしょう。都市は平野部に発達していくのは自然の流れではあるとして、物資の移動など交通の面を考えると沿岸部にあった方が便利ではあります。
しかし古代の日本では奈良や京都に都が作られました。冬は寒く、夏は暑いとも言われる盆地の地形ですが、ここに都を作るメリットはあったのでしょうか。
これは水難を避けるためであろうと考えられます。自然の力はやはり恐ろしいです。この事は古代の日本の人々もよく知っていたとこう事になるのでしょう。
技術は発達した現代においても津波による大被害はあります。記憶に新しいのが東北の大震災です。地震によって津波が起こり都市が飲み込まれる様子をリアルな映像として見る事ができました。
堤防などを作る技術が現代よりも低かっただろうと思われる古代においては、このような水害に対してより無防備になります。
そこで政治の中心となる場所を海の近くを避け、盆地に置く事は理にかなっていると言えます。
この事から考えると古代の日本においても地震や津波の影響は大きいものがあったという事になります。昔から日本は地震や津波の心配を考えなら生活する場所ではあったんでしょうね。
奈良盆地は西日本最大の面積
古代の日本は西日本を中心に発達していったという事はよく知られている事ではあると思います。北海道が開拓されたのはずっと先に事ではありました。
政治の中心は西にあったわけですが、それでは何処に都を作ればよいかという事になります。
海の近くは水害があるし盆地を選択する事にはなったのでしょう。そして西日本の最大の盆地は奈良盆地という事になります。
奈良盆地は大和盆地とも言われるようですが、この広い盆地があるから都をここに作ろうと考えた当時の人々の考えも分かります。
google mapを使い各都市の画像で比較していると大阪のすぐ隣に山に囲まれ発達した大きな土地を発見する事ができます。
奈良と言えば山というイメージがあったのですが、こんなに大きな都市部になっているのかと気付かされる発見ではあります。奈良盆地の大きさがよく分かる事ではあります。